DEVIL(2010)ジョン・エリック・ドゥードル
M・ナイト・シャマラン監修、『ザ・ナイト・クロニクルズ』第一弾
アタイはですね、シャマランさんが好きなのです。
監督としてはもちろんだが、出たがり、もとへ、俳優としてのシャマランさんにも、製作に回ったシャマランさんにも、わけへだてなく好意を寄せておるのです。
そりゃぁテストで100点しか取ったことなかったり、リレーのアンカーでゴボウ抜きトップ!!・・・というタイプのヒーローではないと思うが、クラスで4~5人くらいは、「シャマラン君ってなんかいいよね!」って思ってるような感じの、愛され方だと思います。
そのかわり、映画への要求が多い文芸部のみんなや、インディ・ジョーンズ以外の映画は物足らなかった砲丸投げ部のみんなからは、「シャマランなんかとは遊んでやらねえ!」と、スルーされてそうな感じもするなぁ。
まぁ、エアベンダーなんかでのラズベリー受賞は深層シャマラーなみんなの、「愛の裏返し」だと思われるので、アタイは「ラズベリーおめでとう!」と、心をこめて叫んでおきます。
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サテハテ、この映画の監督はジョン・エリック・ドゥードルさんなものの、中身はやっぱりシャマラン映画で、言いたそうなことは早々に、ハ~イ!ハイハイっ!わかりました!みたいな気持ちになりました。
映画に仕込まれたメッセージが、ごくストレートな感じだからかな。
アタイ自体は、いろいろ面倒くさいあまのじゃくなので、神や悪魔がらみのおハナシに対しては、いつもならちょっと離れたナナメの角度から双眼鏡で見ちゃうほうだが、この、「悪魔がいるんだから神もおるんじゃ!」というシャマラン節の宗教感には、愛嬌があってヨシ!と膝ポンできるからついて行くのだ。
でもってこの「デビル」はね~、いやにヒゲの濃いメンツばっかりゾロゾロと集まるビルの、エレベーター内で乗り合わせた5人が次々と死に逝くオカルトサスペンスらしいです。
ケド、犯人は誰?ってのが、別にちっとも気にならないのが、サスペンスとして見れば意表をついてまするよね。
モニタのこっちでは、ほとんどの人が、「犯人はデビルなんだね?」と思ってるのに、やおら、盛り上がりもしない偽装連続殺人説が浮上してみたりするおチャメさは、シャマランものには欠かせない「愛嬌」の仕業に違いない!
アタイにとって、そんな誰も期待しない犯人探しよりも、エレベーターのようなせまいなかで、初対面同士が空間を共にするバツの悪さ、共有する時間が長引く息苦しさ、初対面の相手を、その場ポッキリのコミュニケーションで、「犯人では?」と疑う理由の根拠のなさ、などが、ちっさいスケールの中で、「あるある」みたいな面白さで描かれているのが良いのです~。
音の聞こえが一方通行な中で、疎通を試みる、モニタのあっちとこっちで展開されるそれぞれのドラマ。
うん、なにが、とうまく言葉にならない部分がいちいち面白くってしょうがない!
さかさま世界のオープニングから、ヘッドフォンをしたおそうじおじちゃんの背後で落下していく自殺人のシュールさもよかったなぁ。
なんつーか、こんな華のカケラもないキャラクターたちの中で、誰か1人フィギュア化されるとしたらおそうじおじちゃんであって欲しい。
テンパるに比例して顔のどんどん崩れていく美女や、警備員ラミレス君は、フィギュアっちゅーよりスピンオフ向け?
アタイとしては、ラミレス君は、いったいなぜ警備員になったの?ってトコが気になりますので、スピンオフでは、ぜひ掘り下げて欲しいところであります!
ともかく、ラストまで機嫌よく見終わったあと、ストーリー自体とはちょっと離れて、自分なりの神様仏様を検証してみるコトにする。
んとんと・・・。
アタイの強欲は、自分の良心よ美しくあれ!と期待する。
そこで、自分の良心をおだててくれる、神さまを必要とする。
逆に、オノレの魂を汚すような、けしからん自分の行いを裁くものをも必要とする。
いわばそれが悪魔なんかい?とかまぁユルク思っておるのだす。
きっと、自分の内部の葛藤を、神や悪魔のおかげやせいにして、客観視することで、保てる心のバランスってやつがあるのだろうかなぁ。
あっ、あと、くれぐれも気をつけていただきたいのだが、ハリソン・フォードは出ていません。
(2012年1月)
「デビル」データ
DEVIL 2010年 アメリカ
監督
- ジョン・エリック・ドゥードル
原案・制作
- M・ナイト・シャマラン
出演
- クリス・メッシーナ
- ローガン・マーシャル=グリーン
- ジェフリー・エアンド
- ボヤナ・ノヴァコヴィッチ
- ジェニー・オハラ
- ボキーム・ウッドバイン
- ジェイコブ・バルガス